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Parens Patriae

2008/9/16 弁護士 永島賢也
 Kenya Nagashima Attorney at Law

★ 2008/6 米国視察メモから・・・

Parens Patriae

Parens Patriae とは、米国のクラスアクション訴訟(連邦民事訴訟規則23条(b)(3))に類似している制度ですが、クラスアクションと異なり、原告が、クラス代表(class representative)ではなく、司法長官(Attorney General)であって、司法長官が、州民を代表して訴訟を遂行する点に特徴があります。

Parens Patriae の源は、Common Law (Police Power)、State Law、Federal Law (1976 amendment to Clayton Act)とのことですが、クラスアクションとの具体的な差異は、州民である自然人(法人を含まない)のみを代表し、クラスとしての certification(承認)の論点を被告が争うことができず、州民への通知が、個々的通知ではなく、新聞広告で足りるとされている点が掲げられます。

1 州民である自然人(法人を含まない)のみを代表
2 クラスとしての certification(承認)の論点を被告が争うことができない
3 州民への通知が、個々的通知ではなく、新聞広告で足りる

 

特徴

後二者の点について述べますと、これは、被告側にとって不利な内容であり、原告である司法長官にとっては、非常に有利なものになります。

クラス承認

行政が、原告となって訴訟遂行する以上、敗訴するわけにはいかないという重大な責任、すなわち、敗訴すれば、その効力が州民全員に及んでしまうという点を強調し、これを正当化することもできるかもしれませんが、実際のところ、司法長官が敗訴するリスクはほとんどないに等しいと思われます。

というのは、米国のクラスアクション訴訟で、被告側の最大の防御方法は、上述したクラスとしての承認を争うことにあるからです。クラスの承認が否定されれば、原告としては、全く、訴訟を提起している意味を失いますが(たとえば、請求額が2ドルになる など)、他方、承認を得られれば、被告側は、莫大な賠償金の支払いをおそれ、手のひらを返したように和解での解決を求めるのが通常であるからです。

したがって、被告がクラスの認証の論点を争えないということは、最初から、司法長官とは和解するしかないテーブルにつかされていることになります。

メンバーへの通知

クラスアクションを提起する法律事務所は、しばしば、訴訟にかかる全費用を立て替えたうえ活動していますが、更に、そのうえ、クラスメンバーへの個別通知の手間と費用を負担することになります。

上述のとおり、Parens Patriae では、州民への通知が、新聞等の広告で足りるとされていることは、この手間と費用を省けることになりますので、このうえない恩恵を受けているといえます。

しかも、現実には、企業が原告となってクラスアクションを提起している状況をみて、司法長官が、同一の被告に対し、Parens Patriaeを提起しているようであり、被告側としては、クラスの承認が認められ、和解するしかない状況に追い込まれているところに、更に、Parens Patriaeによる追い打ちをかけられるはめになってい とみることもできるでしょう。

自然人のみを代表する

そして、Parens Patriaeによって、代表される者は、自然人のみであって、法人が含まれていないという点も、この制度の特殊性を現しているといえます。本来は、法人 も自然人も、隔てなく、救済すべき事件が起きているところ、たとえば、司法的救済を受けられない何らかの理由(経済的な理由など)がある自然人のために、行政が立ち上がるという運用が理想とされているのかもしれません。

例としては、ニューヨーク州とマイクロソフトの事件が挙げられます。支配的なシェアを誇るコンピューターのオペレーティング・システム(OS)に競争制限的な仕掛けが組み込まれているとすれば、単に、コンピューターの製造ないし販売業者によるクラスアクションのみでは、解決できない問題があるといえるかもしれません。

個々人の損害に還元できない問題

我が国においては、食品偽装(成分など)、品質偽装(再生紙など)の問題が語られて久しいですが、事実上、マスコミの取材の前で頭を下げるという儀式が繰り返されるのみで、それ以上、そのような問題を解決に向かわせる法律的な制度が不十分なようにも思われます。

個々人の損害に還元するのが困難であるか、個々人を超えた領域にこそ問題の中心がある場合などにおいては、その解決にふさわしい法的手段が用意されておくべきなのではないかと思われます。 その場合、上述のParens Patriae が、その選択肢のひとつとして検討されるものと考えます。

 Parens Patriaeは、父権訴訟と訳されることがあります。もっとも、あまり良い訳語ではないと考える向きもあります。
 カタカナ表記としては、パレンスパトリーあるいは、パレンツパトリエとされているようです。

 

 

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