過失の再主観化
弁護士 永 島 賢 也
初稿2004/10/15
過失の客観化とは
過失の客観化と言われて久しい。過失は、行為者の具体的な心理状態のことを指すのではなく、ある状況に置かれた人に一律に要求される一定の義務を尽くしていないこと、すなわち客観的な義務違反のことを指すとされています。
つまり、「うっかり」していたなど、緊張を欠いた心理状態をもって法律的な過失とはいわないのです。たとえば、多くの人間が歩いている歩道を自転車でスピードを出してすり抜けようとする場合、充分、意識を緊張させて気をつけて運転していたとしても、人に衝突してけがをさせてしまった以上、「うっかり」していたわけではないから過失がないなどということにはならないのです。
東京スモン訴訟(昭和53年8月3日東京地裁判決)では、過失とは、結果回避義務違反をいうのであり、かつ、具体的状況のもとにおいて、適正な回避措置を期待しうる前提として、予見義務に裏付けられた予見可能性の存在を必要とする、されております。
すなわち、過失の客観化とは、結果回避義務の違反を中心にすえる考え方のことです。
過失の再主観化?
ところが、最近、この過失の客観化(過失を結果回避義務と考える傾向)があてはまらない裁判例が現れつつあるとの指摘がなされています(法学教室2004年10月号86ページ・大村敦志教授)。
それは、結果回避義務違反というよりは、むしろ、行為義務違反(発生した結果とは独立した、期待される行為をしなかったこと)をもって過失と認定されたものです。
すなわち、過失の再主観化とは、再度、うっかりしていたなどの意思の緊張を欠いた状態をもって過失とする傾向に回帰しているというのではなく、結果とは独立した行為義務違反をもって過失とする傾向が生じているのではないかというものです。
仮に、期待される行為がなされていたとしても、発生した結果を回避することができたかどうかはわからない。わからないけれども、行為者に行為義務を課して、その行為と関連性がある損害について賠償を認めるという方向性をもちつつある、という趣旨の指摘がなされているのです。
Retrospective と Prospective
ところで、過失の有無を判断する場合、すでに発生した具体的な結果から遡って回顧的に確定する論法と、行為の時点に身を置いてある特定の行為からどのような事象が生じうるか事前的に確定する論法があるとされています(潮見佳男著「不法行為法」159頁)。
前者はRetrospective(リトロスペクティブ)な論法であり、後者はProspective(プロスペクティブ)な論法です。
ちなみに、このリトロスペクティブという見方ないし考え方に関する議論は、医療関連訴訟において、頻繁に出てくる視点です。この考え方を厳密に意識して、医療訴訟における過失をめぐる攻防がかわされます。
潮見教授は、「それぞれの行為の進行段階において関連づけられる潜在的被害者側の潜在的利益が多様であり、また必ずしも侵害された特定の権利への保護をどうするかという観点からのみ行為操縦が行われるものではない」という点に鑑みて、後者の立場を支持すべきとされます。
Retrospective(後方視的)な見方は、それのみでは行為者に結果責任を負わせてしまうおそれもあるので、過失を問題にする以上、Prospectiveな視点で判断しなければならないと考えられます。
過失の再主観化とProspective
しかしながら、上記のように、結果と独立した行為義務違反をもって過失と判断する判決例の傾向と、このProspective型の論法とが重なった場合、行為者が、本来、その行為とは関係のない結果にまで責任を問われてしまう、すなわち、損害賠償の範囲に含められてしまうおそれを指摘できます。
特に、諸学説とは異なり、事実的因果関係の問題と保護範囲(損害賠償の範囲を画する基準)の問題とを明確に区別して論じない判例の考え方では、行為者の義務が及ぶ範囲(義務射程)を画定して賠償範囲を絞るという判断が抜け落ちてしまう危険性が高いといえるのではないでしょうか。
仮に例を掲げるとすれば、たとえば、医療関係訴訟において、検査義務違反という過失が認められ、ある時点で検査を実施していれば、その検査結果がいつころ得られ、得られたその検査結果によれば、確定的な診断をいつころにすることでき、そのような診断を前提として適切な診療行為を選択し、その選択に基づいた診療行為がいつころまでになされていれば、患者に重大な結果は生じなかったものと一応考えられたとしても、当該検査義務違反の義務射程がその重大な結果にまで及んでいるのか(急死を予期できる程の緊急事態での検査義務違反なのか)、あるいは、仮にその時点でその検査を実施していたとすれば、その後に続く診療行為を受けられた可能性があったのにそれを奪ってしまったとして、診療機会を逸したという範囲(期待権侵害、延命利益侵害)に止められるべきものなのか、慎重な検討が必要になる場合であるのに、その判断が抜け落ちてしまう場合などが考えられます。
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