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生存していた相当程度の可能性

弁護士 永 島 賢 也
初稿2006/08/15

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権利侵害又は法律上保護される利益


 民法709条は、「故意又ハ過失ニ因リテ他人ノ権利ヲ侵害シタル者ハ、之ニ因リテ生シタル損害ヲ賠償スル責ニ任ス」と定めていました。

 現在、民法は、現代語化され、「故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。」と定められています。

 つまり、単に権利侵害だけではなく、更に、法律上保護される利益を侵害した場合も条文に含まれています。

 昔、この「権利侵害」という要件について、法律上権利としての地位が確立しているものに限る、と解釈された時期もありました(雲右衛門事件)。

 しかし、その後、「権利」概念を広く解し、不法行為に基づく救済を与えることを必要とする考えられる利益を含むものとされ(大学湯事件・大判大正14年11月28日)、現在に至るまで、「権利侵害」の要件は広く解釈されてきています。

 それゆえ、この「法律上保護される利益」という文言については、いわば、確立された解釈論を条文に取り入れたものとみることができます。

 この「権利侵害又は法律上保護される利益」の要件は、故意過失の要件とは別に、被侵害利益が保護に値するものかどうかという評価が独自に必要な場合に、その内容が検討されることになる要件であるといえます。

 例としては、日照権(受忍限度論)などが考えられます。また、最近、問題になりつつある悪臭の問題を生活利益の保護という観点からどの程度取り込むことができるかどうかという点も問題になりうるでしょう。

 この「権利侵害又は法律上保護される利益」には、当然、生命・身体も含まれます。ですから、故意・過失により、他人の生命身体を侵害した者に不法行為責任が認められるのは明らかです。 

生存していた相当程度の可能性


 では、「生存していた相当程度の可能性」は、この「権利侵害又は法律上保護される利益」に含まれるでしょうか。

 最高裁は、医療関連訴訟において、次のように、判断しています(平成12年9月22日第2小法廷・不安定狭心症から切迫性急性心筋こうそくに至り心不全を来した事例)。少し、長いかもしれませんが、重要な判決なので、引用してみます。

 「疾病のため死亡した患者の診療に当たった医師の医療行為が、その過失により、当時の医療水準にかなったものでなかった場合において、右医療行為と患者の死亡との間の因果関係の存在は証明されないけれども、医療水準にかなった医療が行われていたならば患者がその死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性の存在が証明されるときは、医師は、患者に対し、不法行為による損害を賠償する責任を負うものと解するのが相当である。

 けだし、生命を維持することは人にとって最も基本的な利益であって、右の可能性は法によって保護されるべき利益であり、医師が過失により医療水準にかなった医療を行わないことによって患者の法益が侵害されものということができるからである。

 原審は、以上と同旨の法解釈に基づいて、○○医師の不法行為の成立を認めた上、その不法行為によって○○が受けた精神的苦痛に対し同医師の使用者たる上告人に慰謝料支払の義務があるとしたものであって、この原審の判断は正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。」

 要するに、生存していた相当程度の可能性は、法によって保護されるべき利益であるとされています。

重大な後遺症が残らなかった相当程度の可能性


 また、最高裁は、後遺症についても同様の判断をしています(平成15年11月11日第3小法廷・「重大な後遺症が残らなかった相当程度の可能性」・急性脳症の事例)。

 「患者の診療に当たった医師が、過失により患者を適時に適切な医療機関へ転送すべき義務を怠った場合において、その転送義務に違反した行為と患者の上記重大な後遺症の残存との間の因果関係の存在は証明されなくとも、適時に適切な医療機関への転送が行われ、同医療機関においても適切な検査、治療等の医療行為を受けていたならば、患者に上記重大な後遺症が残らなかった相当程度の可能性の存在が証明されるときは、医師は、患者が上記可能性を侵害されたことによって被った損害を賠償すべき不法行為責任を負うものと解するのが相当である。」

 要するに、重大な後遺症が残らなかった相当程度の可能性も、法によって保護されるべき利益に含まれるものと考えられます。

 この最高裁判決は、昭和51年統計で、死亡率36%、生存者中の63%に中枢神経後遺症が残存し、昭和62年統計で、完全回復22.2%、残り77.8%は死亡したか、神経障害が残ったという急性脳症に関する統計数値は、むしろ、重大な後遺症が残らなかった相当程度の可能性が存在することをうかがわせる事情と指摘しています。

 * なお、不法行為だけではなく、債務不履行についても、同様な判断がなされています。すなわち、最高裁平成16年1月15日第1小法廷判決では、「患者がその死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性の存在が証明されるときには、医師は、患者が上記可能性を侵害されことによって被った損害を賠償すべき診療契約上の債務不履行責任を負うものと解するのが相当である。」とされています。

なぜ、相当程度の可能性が問題になるのか

 なぜ、相当程度の可能性の侵害が問題にされるのでしょうか。

 これは、医療関係訴訟の特殊性と言ってもいいかもしれません。簡潔に述べれば、医師の過失と患者の死亡結果との間に、因果関係が否定される場合でも、医師に過失が認められる以上、何らかの賠償を認める余地を残そうという発想なのです。

 *いわゆるエアーポケットの問題。
  稲垣喬氏は、「過失は認められるが因果関係が認められないというような場合に備え、診療をめぐる悪い結果があるのに救済されないといういわばエアーポケットについて、なんらかの法益の侵害を理由とした請求権を考えて、賠償を確保するという理論構成も考えられています。」と述べています(医事訴訟入門第2版160ページ)。

法的判断としての因果関係


 因果関係の話題が出てきましたので、少し、詳しく述べてみます。
 因果関係のリーディングケースとされている最高裁判決は、以下のとおりです(昭和50年10月24日ルンバールショック事件)。

 「訴訟上の因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑を差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし、かつ、それで足りるものである。」とされています。

 これは、伝統的な理論を確認したもので、「高度の蓋然性の証明」を要求するものです。高度の蓋然性とは、通常、「十中八九」(80%以上)のことを指すといわれています。

 ということは、「十中八九、間違いない」とまではいえない場合、因果関係が否定され、患者側の請求は、法律要件を欠くことになり、棄却されることになります。

 例としては、進行癌などで、診療上の過失の有無にかかわらず死亡の時期が確実に到来するというケースなどが掲げられています。

 この、「医療側に落ち度があるのに、その責任が最終的には否定されることに対する割り切れなさ」を救おうとする理論が、次の期待権侵害論、治療機会喪失論です。

期待権侵害論・治療機会喪失論


 期待権侵害論は、簡潔にいえば、患者の診療に関してもっている期待が医師の不十分な診療によって裏切られたという構成になります。期待権が侵害されたという精神的苦痛を理由として慰謝料を得ようとするものです。

 治療機会喪失論(延命利益侵害論)は、簡潔にいえば、不十分な診療によって、適切な治療を受ける機会(延命の利益)が奪われたという構成になります。この治療機会が奪われたという精神的苦痛を理由として慰謝料を得ようとするものです。

賠償額

 ちなみに、慰謝料算定の実務(千葉県弁護士会編・ぎょうせい・85ページ)によると、具体的な慰謝料額としては、200万円~300万円とする例が多く、概ね100万円~500万円の範囲に分布し、その中でも100万円~300万円の低額部分に集中しているとのことです(結果との間の因果関係を否定しながら慰謝料を認めた類型・いわゆる期待権ないし延命利益侵害等の名目で慰謝料を認めた類型)。

最高裁平成12年9月22日判決

 上記最高裁平成12年9月22日判決は、この期待権や治療機会喪失に関する問題について、初めて最高裁の判断を示したものとされています。

 *判例タイムズ(No.1044-p76)は、上記最高裁平成12年9月22日判決は、「医療過誤訴訟における残された大きな問題の一つであるとされるいわゆる期待権侵害の問題について、初めて最高裁判所が判断を示したものであり、また、右の生存していた相当程度の可能性が法によって保護されるべき利益であることを明らかにしたものであって、医療過誤訴訟の実務にも大きな影響を与えるものと考えられる。」と評しています。

 この最高裁判決の原審(東京高裁)は、医療水準にかなった医療を行うべき義務を怠ったことにより、患者が、適切な医療を受ける機会を不当に奪われ、精神的苦痛を被ったものであり、同医師の使用者たる医療法人(病院)は、民法715条に基づき、右苦痛に対する慰謝料として200万円を支払うべきものとしていますので、機会喪失論に立っていたといえます。

 最高裁は、上記のとおり、生存していた相当程度の可能性の存在が証明されるときは不法行為責任を負うと述べ、これと同旨の法解釈に基づいて病院に慰謝料の支払義務を認めた原審の判断は正当であると述べました。つまり、原審の機会喪失論は、最高裁の相当程度の可能性論と同旨の法解釈に基づいているとされているようです。

 このように、過失と結果との間の因果関係につき、高度の蓋然性までは証明されていなくとも、医療水準にかなった医療が行われていたならば患者がその死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性の存在が証明されるときには、不法行為の責任の負わなければならないと結論づけられたといえます。

今後、期待権侵害論や治療機会喪失論は認められないのか


 それでは、今後、期待権侵害論や治療機会喪失論に基づく請求は認められなくなってしまうのでしょうか。

 結論としては、いまだ不透明といえます。  

 というのは、生存していた相当程度の可能性の存在が証明できなかった場合、なお、期待権侵害論ないし治療機会(延命利益)喪失論に基づく慰謝料請求を認める余地を残しておくかどうかという価値判断が、はっきりしないからです。
 
 端的にいえば、これは、上記民法709条の定める「権利侵害又は法律上保護される利益」に、適切な診療を受ける期待感や、治療機会、延命利益などを含むと解釈することができるかどうかという問題になると思います。

 上記最高裁平成12年9月22日判決は、原審(東京高裁)での治療機会喪失論等に基づく請求を是認し、ただ、これを生存していた相当程度の可能性の存在が証明されるときに認めるという基準を立てたといえます。

 相当程度の可能性の存在が証明されなかったとき
 では、生存していた相当程度の可能性の存在が証明されなかったときは、どうでしょうか。

 同判決は、生存していた相当程度の可能性の存在が証明できなかったときは、一切、請求を認めないという趣旨(請求棄却)なのか、それとも、それはそれとして別個に認める余地を残すものなのか、特に語っていないように読めます。

平成17年12月8日最高裁判決


 では、この点について、最高裁判決はないのでしょうか。

 平成17年12月8日最高裁判決(東京拘置所内での脳梗塞発症の事例・転送義務)は、相当程度の可能性の存在が証明されなかった場合につき、不法行為責任を否定しています。次のとおりです。

 「勾留されている患者の診療に当たった拘置所の職員である医師が、過失により患者を適時に外部の適切な医療機関へ転送すべき義務を怠った場合において、適時に適切な医療機関への転送が行われ、同病院において適切な医療行為を受けていたならば、患者に重大な後遺症が残らなかった相当程度の可能性の存在が証明されるときは、国は、患者が上記可能性を侵害されたことによって被った損害について国家賠償責任を負うものと解する。」とし、あわせて、上記最高裁平成12年9月22日判決と同15年11月11日判決も引用し、先例に従って判断するものとしています。

 そのうえで、「東京拘置所においては、上告人(患者)の症状に対応した治療が行われており、そのほかに、上告人を速やかに外部の医療機関に転送したとしても、上告人の後遺症の程度が軽減されたというべき事情は認められないのであるから、上告人について、速やかに外部の医療機関への転送が行われ、転送先の医療機関において医療行為を受けていたならば、上告人に重大な後遺症が残らなかった相当程度の可能性の存在が証明されたということはできない。そして、本件においては、上告人に重大な後遺症が残らなかった相当程度の可能性の存在が証明されたということができない以上、東京拘置所の職員である医師が上告人を外部の医療機関に転送すべき義務を怠ったことを理由とする国家賠償請求は、理由がない。」として、上告を棄却しています。

 つまり、相当程度の可能性の存在の証明に失敗すると、損害賠償請求は認められないという結論になります。

 もっとも、当該検査、治療等が医療行為の名に値しないような著しく不適切不十分なものであった場合は、適切十分な検査、治療を受けること自体に対する患者の利益が侵害されたことを理由として損害賠償責任を認める余地も残されているようです(同判決補足意見参照)。

反対意見


 なお、当該最高裁判決には、反対意見があります。

 反対意見(横尾和子・泉徳治)は、医師の過失を認め、「専門医による医療水準にかなった適切な検査、治療等の医療行為を受ける利益を侵害されたのであるから、被上告人は、国家賠償法に基づき、上告人の上記利益侵害に係る精神的損害を賠償する責任があるというべきである」としています。

 そして、引用した上記平成12年9月22日判決も同15年11月11日判決も、相当程度の可能性の存在が証明されなかった場合の医師の損害賠償責任の有無には触れていないと述べ、「患者が適時に適切な医療機関へ転送され、同医療機関において適切な検査、治療等の医療行為を受けるという利益」が、不法行為法上の保護法益になり得るとすれば、医師側の不法行為責任が肯定されるとし、他の最高裁判例上認められてきた保護法益を掲げ、これらと比較しても、保護すべき程度において、勝るとも劣らないものであるから、保護法益に含まれるとし、精神的損害を賠償すべきとしています。

 ちなみに、掲げられた保護法益を列挙しますと以下のとおりです。

 概ね、患者の医師決定に関する利益が法益として保護されています。その意味で、「適切な検査、治療等の医療行為を受けるという利益」とは、ニュアンスを異にするように思います。

 1 患者が輸血を伴う可能性のあった手術を受けるか否かについて意思決定する権利(平成13年11月27日第3小法廷)
 
 2 乳がんの患者が、担当医師から、自己の乳がんについて乳房温存療法の適応可能性のあること及び乳房温存療法を実施している医療機関の名称や所在の説明を受け、担当医師より胸筋温存乳房切除術を受けるか、あるいは乳房温存療法を実施している他の医療機関において同療法を受ける可能性を探るか、そのいずれの道を選ぶかについて熟慮し判断する機会を与えられること(平成13年11月27日第3小法廷)

 3 医師が末期がんの患者の家族等に病状等を告知しなかった事案において、家族等が告知を受けていた場合には、医師側の利用方針を理解した上で、物心両面において患者の治療を支え、また、患者の余命がより安らかで充実したものとなるように家族等としてできる限りの手厚い配慮をすることができることになり、適時の告知によって行われるであろうこのような家族等の協力と配慮は、患者本人にとって法的保護に値する利益(平成14年9月24日第3小法廷)

 4 胎児の最新の状態を認識し、経膣分娩の場合の危険性を具体的に理解した上で、担当医師の下で経膣分娩を受け入れるか否かについて判断する機会を与えられること(平成17年9月8日第1小法廷)

補足意見

 そして、この平成17年12月8日判決には、補足意見があります。
 補足意見(島田仁郎)は、「結果発生との因果関係が証明された場合はともかく、その証明がなく、上記のような「相当程度の可能性の存在」すら証明されない場合に、なお医師に過失責任を負わせるのは、著しく不適切不十分な場合に限るべきであろう。」

「私は、この種の事件に関して保護法益を柔軟かつ弾力的に広げて解することについて反対するものではないが、それによって発生した結果との因果関係が立証されないか結果が発生しない場合までも過失責任を認めることになるので、それが不当に広がり過ぎないように、法益侵害の有無については厳格に解さなければならないと考える。したがって、かかる保護法益が侵害されたというためには、単に不適切不十分な点があったというだけでは足りず、それが果たして法的に見て不法行為として過失責任を問わなければならないほどに著しく不適切不十分なものであったというべきかどうかについて、個々の事案ごとに十分慎重に判断する必要がある。」としています。

 つまり、結果との因果関係が証明されず、かつ、その相当程度の可能性の存在も証明されないのに、それでも、不法行為責任を認めるのは慎重であるべきであるということです。この場合、法益侵害の程度と過失の程度との相関関係が問題になりそうです。

もうひとつの補足意見

もうひとつの補足意見(才口千晴)は、反対意見に同調することができないとして、以下のとおり述べています。

 まず、期待権侵害論については、「そもそも、反対意見は、実定法に定めのない「期待権」という抽象的な権利の侵害につき、不法行為による損害賠償を認めるものであるから、医師が患者の期待権を侵害すれば過失があるとされ直ちに損害賠償責任が認められ、賠償が認められる範囲があまりにも拡大されることになる。」と批判しています。

 次に、適切な医療を受ける利益の侵害については、「医師について患者が適時に適切な医療機関へ転送され、同医療機関において適切な検査、治療等の医療行為を受ける利益を侵害されたこと」を理由として損害賠償を認めることは、医療全般のみならず、専門的かつ独占的な職種である教師、捜査官、弁護士などについても、適切な教育、捜査、弁護を受ける利益の侵害などを理由として損害賠償責任を認めることにつながり、責任が認められる範囲が限りなく広がるおそれがある。」と批判しています。

 そして、「反対意見は、相当程度の可能性の存在の証明いかんにかかわらず過失責任を認めるもの」であり、上記最高裁平成15年11月11日判決の「判旨に反する判断であり、反対意見は、判例変更を示唆するものである。」と痛烈に批判しています。

 つまり、平成17年12月8日の最高裁判決は、相当程度の可能性の存在が証明されなかった場合は、期待権侵害ないし治療機会喪失等に基づく請求を認めないというもので、ただ、例外的に、対象となった診療行為が、医療の名に値しないような著しく不適切不十分な場合に限って、法的責任が認められる余地があるにすぎないと述べているように思います。

まとめ

 結局、現時点では、生存していた相当程度の可能性、ないし重大な後遺症が残らなかった相当程度の可能性は、不法行為の要件としての権利侵害又は法律上保護される利益に含まれますが、上記に述べた期待権等は、原則として含まれず、保護法益とは認められませんが、医療の名に値しないような著しく不適切不十分な診療行為がなされたような例外的な場合には、認められる場合もあるということのようです(行為態様との相関関係で違法性が認められる場合もあるということなのかもしれません)。

 * 医療関係訴訟について、上記のいわゆるエアーポケットの問題を解決するため、結果との因果関係が認められなくとも、相当程度の可能性の立証により、いくばくかの損害賠償責任を肯定する余地を残そうというのであれば、その法的根拠を検討しなければならないところです。他の訴訟類型とは異なる医師と患者との間に形成される法律関係から、そのような救済を正当化するとすれば、たとえば、Fiduciaryを掲げることができるのではないかと思われます。

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